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  • 『ひとりみんぱく』松岡宏大

    年末迄はまだ4ヶ月の時間があるが、今年僕の読んだ本の中でおそらく他を寄せ付けず、ぶっちぎりの1位になるのは、『ひとりみんぱく』だろう。

    この本と出会ったのは昨年末。何となく京都に行きたくなりふらっと夫婦で行ってきた。その際、寺社仏閣や観光のランドマークが多々ある中、最も訪れたい場所として選んだのが、恵文舎と言う一軒の書店だった。

    恵文舎は、アートやカルチャーへの意識・感度が高い人たちが、遠方からでも足を運んでくれる場所を作りたいと、市内中心部から少し離れた一条寺に1975年にオープンした書店である。

    店内は国内外の文学、アート、建築、カルチャー、ファッションなど、さまざまなジャンルの書籍や雑誌が、一貫したセンスのもとに並べられ、時間の流れも忘れながら、1冊ずつ手に取り、本の世界にしっかり浸ることができる。

    叡山電鉄の一条寺駅近くにある恵文舎。一般的な書店では見かけない個性ある数々の書籍をゆっくり眺め、気になるものを手に取ってページをめくる。そんな中で心がざわついた何冊かをピックアップし購入した訳だが、異彩を放っていてある種一目惚れしてしまったのが『ひとりみんぱく』だった。

    『ひとりみんぱく』は、カメラマンでもある作者の松岡宏大さんが、世界各地を旅する中で収集した現地の民藝・工藝品やアンティークの数々を紹介する1冊。

    タイトルにある“みんぱく”とは、大阪の万博記念公園内、太陽の塔の隣にある国立民俗学博物館の愛称。世界中の民藝・工藝、アンティークが展示されていて、文化人類学・民族学に関して国内を代表する調査・研究機関と言える。

    そんなみんぱくに作者の松岡さんが訪れた際、これまで集めて来た自身の品々のことを思いだし、「うちにもあるな」と言う感想を抱いたことが起点となってこの作品が生まれたらしい。

    1人でみんぱく。『ひとりみんぱく』

    見た目図鑑の様な重厚な装丁、ちょっと意味深ながらシンプルなタイトル。これは何かあるなと僕のレーダーが激しく反応し、手に取ってページを開いたところ、そこには期待以上の異世界・別世界があった。

    収集した品々、土地の風景、人々の生活が切り取られた写真はどれも美しく、躍動感や臨場感に満ち満ちていた。また品々の背景にあるエピソードがエッセイとして添えられているのだが、その物語が素晴らしく一瞬で心を掴まれてしまった。

    さすが恵文舎。凄い1冊との出会いを作ってくれる。

    京都から帰り、暫く積読になってしまっていたが、仕事が落ち着き、しっかり時間が取れた春先、1日かけてページをめくりながら、知らない何処かの国の風景や人々の暮らしに没入し、そして民藝・工藝品やアンティークの深みにどっぷり浸かった。

    この本の中には明らかに次元の違う別世界が存在していて、読み進めるうち、気付けば僕は芳醇な旅の中にいた。もはやゴーグルやインターネットなんて無くても人間は本来自身の想像力だけで別次元に行ける訳で、どれだけ世の中が変わろうとも紙媒体の可能性は無限大だ。

    読み終えて、改めて、本当に素晴らしい本だと感じた。

    沢木耕太郎さんの『深夜特急』、ロバート・ハリスさんの『エグザイルス』、小林紀晴さんの『アジアジャパニーズ』。

    僕の感性を養い、人生に豊かさを与えてくれたそれらの作品の系譜を引き継ぐ1冊。まさに新しい旅のバイブルが、僕の人生にやって来た。

  • 旅のはなし

    僕はこのブログ的なエッセイの他に、『心をとき放つ』のタイトルで、不定期にイベントを開催している。

    強い信念を持ち、未来思考の切り口で社会に新しい価値を提案する挑戦者や、忙しい毎日の中でもしっかりと日々の暮らしを味わう賢者をゲストに迎え、会場に来てくれた皆さんの心がトキメキ、とき放たれる時間をシェアする、そんなトークイベントである。

    基本は対談であるが、頻度は極めて少ないものの、一人語りをする回もこっそりあって、つい先日、数週間前に夫婦で旅行していたタイとラオスの旅の報告会を開いた。

    旅は心をとき放つ為の重要な要素だし、僕自身、孤高の旅人ロバート・ハリスさんを人生の師と自負する故、旅には強い想い入れもある。学生時代はバックパッカー的な装いでアジアの国々を訪れたり、オーストラリアを横断したり、また社会人になってからも、時間とお金が許せば、国内外で興味を持った土地に足を運ぶ様にしている。

    日常を抜け出し旅に出る。

    初めて出会う土地の景色や街並み、食文化、そして人々の営みを五感を尽くして味わえば、生きていることを改めて実感し、自ずと心もときめくもの。

    そんな旅の瞬間、一コマ一コマをしっかり切り取りたくて写真や動画も撮る様になったが、それらは撮った自分ですら見ることもままならず、過ぎ行く時間の彼方に、旅の記憶が朧げに遠ざかる。

    以前に、知人のカメラマンさんが「良い旅をしたならば、どんなアウトプットに纏めて、どうその旅と向き合うかが大事な気がする」と言っていた。

    その言葉がずっと気になっていて、帰国してすぐ、いつもイベントを開催させて貰っている鎌倉の朝食屋コバカバに、土曜日の夜の空き時間を押さえて貰い、当日にむけて準備に取り掛かった。

    ここで旅の話を簡単にしておくと、今回僕らが訪れたのはタイのチェンマイとラオスのルアンパバーン。ともに20〜30年前ののんびりとしたアジアを感じられると言う評判もあり、また両エリアとも中国南部から東南アジア北部エリアに点在する様々な山岳民族の暮らしを垣間見て、その手仕事による工藝品・アンティークに触れることが出来る。

    のんびりしたアジア。最近夫婦の関心の的となっている民族工藝・アンティーク。僕らにとって、これらのニーズを満たしてくれる最良の場所こそがこの2つの街であった。

    まずはチェンマイ。タイの北部にある大都市だが、高層ビルがほぼ無く、城壁で囲まれた旧市街を歩くと、かつてバックパックでアジアを旅した当時の懐かしい雰囲気が今もなお残っていて、人々の気質も穏やかな印象だ。

    市外に居住区のあるモン族やカレン族などの山岳民族の手仕事・アンティークに触れられるマーケットやお店が豊富にある他、若い世代の才能がしっかり生活に根差していて、街中をセンスの良い沢山のショップが彩り、その活気溢れる空気感にも刺激を受けた。

    一方のルアンパバーンはラオスの古都。フランス統治下のヨーロッパ調の建物やラオスの古くからの建物が美しく調和し、街全体が世界遺産に認定されている。死ぬまでに行ってみたい場所の1つなんて言われることもある様で、旅情を満たしてくれる旅の目的地としてはうってつけと言える。

    コンパクトなサイズのルアンパバーンでは、数多ある寺院をゆっく巡ってみたり、センスの良いカフェでボーっとしたり、はたまた街中のお店を覗いて山岳民族の手仕事に触れたてみたり、今もなお生き残るアジアの緩やかな時間に身を任せて過ごすのがお薦めだ。

    イベントの当日は、仲の良い10人の仲間に声を掛け、来て貰うことが出来た。僕らが感じた旅の記憶を情報として伝えるだけでなく、その空気感や手触り感まで伝えたく、購入した民藝品やアンティーク品を展示した他、味覚や香りまで感じて貰える様に、タイ・ラオスをテーマにした料理もお店に用意して貰った。

    もちろん独りよがりになってしまった部分もあったはずだが、遠く離れたタイやラオスから持ち帰ってきたフィーリング、その土地から託されたかも知れないメッセージを少しばかりはシェア出来たのではないかとも思う。

    意外にも、兼ねてからルアンパバーンに行ってみたかったという人がいたり、昔旅をしたタイの記憶を思い出し、また旅したくなったと言う感想を貰えたり、展示している品々に興味を持ち、手に取って貰えたのも嬉しかった。

    あくまで僕ら夫婦の中の物語ではあるけれど、それらを形にして伝えていくことで、誰かにとっては過去の感情を再度味わうスイッチになり、また受けた刺激は将来の旅の設計図になり、更には日々の暮らしを変える為のちょっとしたヒントにもなり得る。

    そう考えると、旅は個人的なものであるが、とても奥行きのあるメディアの様な存在であり、人類は旅をすると言う素晴らしいギフトを授かっているなと感じる。

    今回のイベントは旅の区切りを付けるためのアウトプットと思っていたが、どうやら自分以外の誰かの物語と交わりながら、まだ見ぬ世界にまで、この旅は広がっていきそうな予感がする。

    僕自身も、今回のイベントに先立ち、各国の歴史や現状、東南アジア北部に点在する山岳民族の光と影について調べたり、帰国後程なく、タイやラオスに縁のある近隣のアンティークショップを訪れていて、より深いレイヤーに向かって歩みを進めていることに気付く。

    改めて、ゴールも見えないし、まだまだこの熱も冷めそうにない。そうやって、また旅の深みにはまって行く。

  • 酒呑み

    何だか仕事が面倒なことになっている。ここのところかなりスムーズで、ストレス無く仕事が出来ていたのだが、今週は週の頭から終わりまで振り回され続けている。

    今日も朝から電車で都内に向かい、重めのタスクをこなしていく訳だが、気持ちをフラットに保ちたい故、ゆっくりお茶でも飲みながらグリーン車で向かうことにした。

    朝7:30過ぎの横須賀線。普通車だけでなく、グリーン車までも一杯になる。しかも仕事モードで空気は張り詰め気味だが、極力仕事を忘れながら、楽しかった直近の旅の思い出なんかを頭の中でイメージして、揺れる電車に身を任せてみる。

    そんな中、飲み物や軽食の販売を兼ね車内を巡回する車掌さんに声をかけるお客さんがいた。水でも頼むかと思ったら缶ビールだった。朝らからやるなと思った。確認した訳ではないが僕を含めて視線が一斉に注がれた(はず)。

    女性の車掌さんもアルコールの注文を想定していなかったらしく、冷蔵庫に取りに戻ると侘びつつ、他におつまみは必要か確かめていた。

    その客は「つまみは要らない。でもあなたの携帯番号を頂こうかな」と言った。これまたやるなと思った。確かめてないけれど、皆んなニンマリした(はず)。

    嘘みたいな話だけど、その後暫く車内アナウンスにエコーがかかっていた。カラオケスナックに居る様だった。仕事の悩みもストレスも吹っ飛んだ。

  • 吉岡さんのシーサー

    今から3年前の年始に突然シーサーが欲しくなった。その年の1月からかなり心身ともに負荷のかかる部署に異動することが決まっていて、果たしてその状況をどう乗り越えていこうかというタイミングで、お守りの様な存在が身近にあったらと思うようになっていた。

    僕が住む鎌倉にはとある素敵な器のギャラリーがあり、全国各地の作家さんの作品が1ヶ月に1回程度入れ替えで展示されるが、ここ数年、年初の1回目は吉岡萬理さんという作家さんの個展が開催されていた。

    このギャラリーで展示をされる作家の方々は、シンプルさの中に世界観を凝縮した無地の作品が多い印象だが、吉岡さんに関して言えば、カラフルな絵付け・色使い、そして動物をモチーフにしたオブジェなと、その中にあって異彩を放っていた。

    年明け早々、個展初日のオープン時間に合わせギャラリーに向かう。どことなく真新しい空気に包まれた鎌倉の街並。正月の佇まいを纏う商店街を歩くだけで何だか気持ちが良く、自然と足取りも軽くなる。

    吉岡さんの個展に行くのは初めてだったが、毎年楽しみにしている常連さんが多いのだろう、店の中は既にたくさんのお客さんで活気に満ちていて、店の外で順番を待つ人たちが、窓越しに今年の新作に眼を凝らしていた。

    そんな溢れかえる人の間を縫うように、笑顔で気さくにお客さんたちと話をしている男性が吉岡さんで、見るからに人柄の良さが滲み出ていた。一方で、作風やお名前からすると女性なのかなと思っていたので、正直、少しばかり驚きもした。

    暫らく待った後、店内に入り、ギャラリーの告知で目星をつけていたシーサーを見つけた。我々が知っているオーソドックスさとは程遠いフォルムと色使い。沖縄育ちの人ならば腰を抜かして驚くだろう斬新なシーサーに一目惚れして、迷う間も無く2体購入し我が家に連れ帰った。

    因みに購入時に吉岡さんと少し話したが、「シーサーなんて自由でいいんですよ」と笑っておっしゃっていて、その清々しさに触れ、僕の身体と心がふと緩んだ気がした。

    帰宅して早速奥さんにも披露した。2体も買ってきたのが意外と漏らしつつも、手に取り愛着をもった眼差しで隅々まで眺めていたが、少し前に虹の橋を渡った2匹の愛犬にその姿を重ねている様にも見えた。

    縁起も良さそうだし、色々な人に見てもらいたいと思い、玄関扉を開けた棚の上に2匹のシーサーを置いてみた。予想通り、我が家に来客がある時は、皆そのカラフルな姿と光を放つような存在感に目を奪われ、誰もが自然と笑顔に満ちた。

    その後、我が家は無病息災で、夫婦共々色々なチャレンジもしつつ、1年を楽しく過ごすことが出来た。また良いご縁があり、保護犬サイトで見つけた1匹を新たに家族に迎えることも出来た。

    我が家にやってきた2匹のシーサー。僕らだけでなく、多くの人たちに笑顔とエネルギー、幸福感を与えてくれる吉岡さんの作品には未知の力が宿っているようだ。そしてアートとは日常に彩りと息吹を与え、毎日を物語にする、ちょっとした魔法の様な存在なんだと気付かせてくれる。

  • キャンプの醍醐味

    久しぶりにキャンプをした。我が家は夫婦揃って積極的なアウトドア派でもないし、僕自身は島育ちなのにしっかり泳げないなど、ワイルドさから一切縁遠い。

    とは言え、都会よりも木々のそよぐ山の中や、美しい夕焼けに染まる海の方が落ち着くし、文明よりも自然の方が地球にとっては大事だとも思う。

    年齢は関係ないかも知れないが、昨年50歳を超えたタイミングで、よく分からないが庭の手入れがしたくなり、人生で初めて作業用にオーバーオールを買った。

    そしてきっかけは格好だったが、なんだかんだ土に触れ作業をしているうちに、久々にキャンプをするのも良いなと思うようになり、そんな最中、山梨で知人が管理する広い庭のある古民家に出会った。

    山梨は韮崎市にある彼女が管理するその場所は「アヰルナ」と名付けられ、地域の方々や自然に触れ合いたい都心の人たちが集える場としてイベントなどが不定期で開催されていたが、聞いたところ、テントを張って泊まってもいいとのこと。

    そんな訳で、暫く使っていないテントを押入れから引っ張り出し、GWに夫婦と犬一匹で、アヰルナにてキャンプをして来た。

    このアヰルナのある韮崎市は甲府から長野方面に約15㎞行ったところに位置するが、四方を南アルプス、八ヶ岳、富士山に囲まれる大変風光明媚な場所で、山登りをする人たちの拠点としても知られているようだ。

    GWの前半、初夏の日差しを感じさせる晴天のもと、辿りついたアヰルナは力強い新緑で満たされていて、周辺の田んぼではま正に田植えが終わり、綺麗に整列した小さな苗たちが水面に揺れていた。

    おそらく7年ぶりのキャンプ。組み立てる手順を思い出すには前回の記憶は朧げで、ほぼ初心者の段取りで作業を進める。この日は全国的にもニュースになる程の強風で途中かなり手こずったが、たまたま居合わせ他の熟練キャンパーの方にも手伝って頂き、しっかりと安定して設置が出来た。

    ひとまず基盤が整った後はクルマから荷物をテントに移し、頃合いを見て買出しに行き、焚き火とともにバーベキューと言うキャンプの王道も味わったが、今回のキャンプで僕が感じた一番の醍醐味はこの後にやって来た。

    眠る前のひととき、狭い室内で最低限の荷物に囲まれて、小さな灯を頼りに、皆んなで寄り添い眠るのはただシンプルに幸せだと感じた。

    そしてそんな僕らを取り囲む様に、近くの田んぼでは沢山のカエルが、まさに懐かしい童謡のタイトルの如く、カエルの歌の大合唱に興じており、BGMとしては穏やかでは無いけれど、賑やかで愉快な時間が漂った。

    それ以外にも得体の知れない虫たちのざわめきや、鳥たちのささやきが闇夜を行き交い、何だか異世界に迷い混んでいる気にもなったが、非日常感と日頃の疲れが眠気を誘い、程なく僕は眠りに落ちた。

    その後、最初のうちは僕も奥さんも何度か目を覚ましたが、後に深い真夜中の底で身を屈め、次に目覚めたのはテントの向こう側が淡い光を放ち始めたタイミングだった。

    登りゆく太陽に歓喜する鳥たち。その鳴き声が大地を震わせて、ああ朝がやって来たんだなと実感する。

    そう、これが朝が生まれた瞬間。

    結局、僕らはテントで2泊した。2泊目は外食して温泉施設で快適に入浴したから、純粋に言えば1.5泊と訂正するのが正しいかも知れない。ただし2泊目も、静かな家族の時間とテントの外の異世界をしっかり味わった。

    帰宅に向けて片付ける際、今回のキャンプで足りなかったものは何かなど、知らず知らず頭の中で振り返っていた。キャンプへの熱はそんなに直ぐには冷めなそうだ。早く次のスケジュールを練りたいとも感じた。

    余談ではあるが、僕も奥さんも寝ている間に何度か目を覚ましていて未だ郷に入っていないが、我が家の犬だけは初のテント泊にも関わらず、すっかり寛いで眠っていた。自然へ溶け込む順応性の高さ、地球に生きる存在としては、やはり犬の方が人間よりも高次の様だ。

  • Vitalogy

    3月の頭、台湾に行って来た。20年ぶりの台湾、前回行った時のことは余り覚えていない。おそらく流行りや表向きの暮らしは変わっているのかも知れないが、どことなく懐かしいアジア特有の香りや、石造りの昔ながらの建物が並ぶ街の景色は、当時と変わらずそこにある様な気がする。

    台湾と言えば、食文化や台北などの街巡りが観光としてはポピュラーだが、今回一番印象に残ったのは自然のエネルギー・生命力だった。

    前回同様、今回も台北を中心とした滞在で、街を巡ることがメインだったが、ともかく街中は緑で溢れていた。街路に公園、マンションやアパートのベランダに至るまで、ともかく木々や植物が溢れる様が目に付く。

    たまたま週末に開催される大型のフリーマーケットに行く機会があったが、会場を埋め尽くす多くの出店のほとんどが観葉植物やミニ盆栽などの植物に関するもので、多くの人たちが、それぞれの暮らしを彩るためにそれらを買い求め、そしてそれらが街の表情の一部として生き付く。

    今回、台北から東にバスで90分程の場所にある九份と言う観光地にも行った。ここは映画『千と千尋の神隠し』の舞台になったとも言われる場所で、かつて炭鉱の街だった頃の歴史的な街並みが特徴的だが、周囲は「豊かな自然」というよりも「生命力の塊」と言う表現がピッタリの山々に囲まれていた。

    台北から九份までの車窓。台北を出発して程なく深い緑が人の暮らしを包み込む。緯度が沖縄よりも南に位置している台湾。亜熱帯の気候に属するこの場所は、強い大地のエネルギーに満ちた自然こそがその象徴と言える島なのだと実感する。

    話は変わるが、台湾の人たちはとても親切で謙虚だった。物静かで、声色やトーンも穏やかで、旅をしていて嫌な思いをすることも無かったし、都心部によくある空気が淀んで近寄り難い様な場所にも巡り会わなかった。電車を待つ誰もが列を作って順番を守って並ぶ姿は特に印象的で、正直そんな律儀な振舞いを、海外で見るは初めてだった。

    日本人の感覚・感性に近いと思わせられる様な場面がいくつもあり、かつて台湾と我々は何か同じ起源・DNAを共有する存在だったのかも知れない、そんな気にもなった。仮にそうだった場合、その根底には自然のエネルギーを受け取ることのできる感受性や畏怖の念、そして自然には敵わない、人間は自然の一部という謙虚さがあるのではないのだろうか。

    滞在最終日の穏やかな午後、想いを巡らせながら歩く台北の古い商店街。人も建物も植物も、全てが調和し、輝きを放っている。日常の一コマにも台湾と言う土地が持つエネルギーが宿っている様で、そんな光景に触れていると、静かながらも力強く、僕の心も震え出す様な気がした。

  • EDDIE VEDDER

    最初に言っておくと、今日はただの偏愛の話になってしまう。それでも構わないと言う方はお付き合いを。

    多くの皆さんと同じ様に、僕にも人生のヒーローがいる。その人はパールジャムというアメリカのロックバンドのボーカリストでエディ・ヴェダーという人物だ。

    日本ではあまり認知されていないが、1980年代後半から1990年代のアメリカの音楽シーンを席巻したグランジというジャンルの中心的バンドの1つがパールジャムで、そのフロントマンがエディ・ヴェダーである。

    同じジャンルの最も代表的なバンドがおそらく誰しも名前は聞いたことがあるだろうニルヴァーナ。当時は特にアメリカではこね2つのバンドの人気が凄かったが、日本ではそのファッションや音楽性の好みもあってかニルヴァーナが人気を博した。

    一方で少し音楽性がとっつきづらく、歌詞も内向的、また時に既得権益と真っ向勝負する政治的な言動も馴染まなかったのか、日本ではパールジャムは一部の熱狂的なファンに支持される存在だった。

    僕が初めて彼らの曲を聴いたのは今から30年前の二十歳の頃。敢えて皆んなが行かない方向を選ぶ、少し捻くれた性格も影響し、何となくパールジャムを聴き始めた。勿論最初は曲も取っ付きずらいし、当時のエディは尖りまくっていて、彼らの音楽が身体に沁み入るまでにはそれなりの時間を要した。

    しかし、静と動が共存した独特且つパワフルなバンドサウンドと、荒々しさの中に研ぎ澄まされた繊細さが際立つエディの歌声に一度ハマると、むしろそこから離れることは難しく、パールジャムは僕の生活、身体の一部になった。

    気がつけば、僕の人生で最も不確実で不安定なあの頃、彼らの音楽は癒しであり、救いであり、そしてエネルギーを与えてくれるかけがえのない存在で、停滞しそうな僕の心に光を与えてくれた。

    2003年にパールジャムが来日した際には、武道館でのライブを観ることができた。控えめに言って最高だった。アメリカによるイラクへの攻撃が世界のニュースを賑わしていた時期で、彼らは反戦や社会の理不尽を訴えながら魂を震わせて、ステージは熱量とある種の緊張感に包まれていた。一方で認知度の低さから、幾つかの会場は客席が埋まらず、エディもバンドも日本を嫌いになってしまったとの噂も広まり、実際それ以降彼らが日本を訪れることは無かった。

    彼らの日本からの距離が遠ざかる状況に加え、僕自身の環境も変わった。社会に出て暮らす中で、良く言えば丸みを帯びてきて、悪く言うと心の声とは向き合わず、エディやパールジャムの世界からは少しスライドしたところで、ある種、客観的に彼や彼らの活動を横目に、日々を追われる様に過ごした。

    2003年の来日から20年以上の時が経った。エディの日本嫌いが既成事実になりかけ、パールジャムとの記憶が薄れかけていた2025年の年末、エディがソロで来日することが唐突に発表された。

    何故にこのタイミングで日本に?驚きの方が大きく、何だかピンと来ないながらも、急いでチケットを押さえ、過ぎ去った時間を手繰り寄せるように、エディのことを調べたりパールジャムやソロ作品の曲を改めて何度も聴いたりした。

    かつて大好きだった音楽を何度も聞き、エディの近況を調べているうちに、心が少しずつ強いエネルギーで満たされ始め、20代のあの頃の感覚が蘇ってきて、ライブがとても楽しみになってきた。

    因みに、時代の寵児、ある意味時代の異端として、行き場を失いかけていた我々の代弁者だったエディも、様々な経験の中で優しさと包容力が増し、愛に満たされた存在となっていた。

    直近では表皮水疱症(EB)と言う難病患者の子供たちに十分な治療が行き届く様、奥さんのジルと共に活動をしている。その模様は『マター・オブ・タイム』と言うドキュメンタリー映画に纏められているが、患者の子供達を見つめる眼差しが澄んだ水面のように優しく、とても印象的だった。

    さて当日のライブ。贔屓目抜きに本当に素晴らしかった。60歳を超えているにも関わらず、とんでもない声量で、ギター1本のソロライブとは思えない迫力と重厚感。そしてバンドスタイルでは無いが故、その声が際立ったが、こんなにも美しい声をしていたのかと改めて気付かされた。

    約2時間のライブ。MCではカンペ片手に一生懸命、日本語で何度も感謝の気持ちを伝えてくれ、日本嫌いはただの噂、もしくは過去の話に過ぎないと感じさせられた。

    往年のファンも、僕もまた目を潤ませながら、その圧倒的なライブと彼が目の前にいると言うある種奇跡の様な瞬間をただただ見つめていた。グランジと言う一世を風靡した中心的なバンドのフロントマンは皆、既にこの世を去っており、正に目の前にいるエディは過酷な時代から生還した生きる奇跡そのものだった。

    ライブの終わり、エディがステージから去っていくタイミング。エディへの感謝の気持ちと寂しさが去来した。そしてちょっと声が苦手と言っていた奥さんが、僕の隣で去り行くエディに大きく手を降っていた。「初めて生で聴いたけど、良い声だった。感動したよ」。そんな奥さんの言葉が嬉しかった。

    今回のライブもその少し前に見たドキュメンタリー映画も素晴らしかった。僕の中で止まっていた時間が動き出し、また心に火が灯った。今後の僕の人生、エディに会うことは無いだろうけれど、もし会えるならば今の気持ちをしっかり保存して、「あなたのファンで良かった」と、ただそれだけを伝えられたらと思った。

  • 人が、人らしく

    人が、人らしく生きること。

    この当たり前を見失い、この当たり前を追い求めて生きる時代に、僕らはいる様です。

    ここのところ僕は、人が、人らしく生きるためには、心が健全に働き、心が生きる原動力であり続けることが大切と感じる様になりました。

    健全な心のフィルターを通して、喜怒哀楽の感情をスパイスに、この世界を味わう様に、そして旅する様に暮らす。

    忙しなく、自分の立ち位置すら掴めない毎日でも、ぶれることなく心が自身の確かな拠り所となる。

    その為には、身震いする様な誰かの熱い想いや、当たり前を覆す斬新なアイデア、そして物事の本質に宿る美の真髄に触れておくことも必要でしょう。

    それらを大切な誰かとシェアしながら、健全な心で世界が包まれていけば、いつしかこの“ほし”も微笑んでくれるような、そんな予感がしています。

    『僕らは地球の細胞

    細胞を震わせ、この“ほし“を震わせて、

    初めて、僕らは生まれて来た意味を知る』

  • Hitotsu

    結婚して20年が経った。20年と言う数字だけ聞けば、それなりに重みのある期間で、しみじみ振り返るものなのかなと思ったが、まだ僕らは旅の途中と言う感覚が強く、来た道を振り返るのは時期尚早な気がする。

    しかしながら、こうやって同じ方向を目指して今も一緒に歩むことができるこの状況を、ささやかに乾杯するのも良いねと言う話になり、一軒のレストランを予約した。

    こう言った時のインスピレーションは奥さんのが長けているので任せたところ、戸塚駅の近くにあるHitotsuと言うセンスの良さそうなお店を見つけてくれた。

    雨の降る土曜日の夕方。JRと地下鉄の乗り換えの拠点で、人通りも多い戸塚の駅前、静けさとは無縁そうな通りを少し行ったところにあるマンションの一階にそのお店はあった。

    扉を潜ると、打ちっぱなしのコンクリートの壁を暖かみのある照明が照らし、ミニマムに整えられたインテリア、穏やか音色のBGMが調和していて、外の喧騒とは別世界の空間が僕らを迎えてくれた。

    東京を離れた地方で、類い稀ないセンスを発揮し、自分の才能や世界観と向き合う若きオーナーシェフと出会うことがあるが、このお店にもそんなオーラが漂っていて、何だか知らない街へと旅に来た非日常感すら覚えた。

    乾杯を皮切りに出されるコース。ありきたりの言葉で恐縮だけれど、本当にどれも素晴らしかった。オーナーシェフの奥様が野菜料理の研究家だそうで、野菜を中心とした料理は繊細だが、生命力に満ちていて、身体に英気を与えてくれる。

    聞いたところ、1〜2ヶ月に一度、季節の移ろいに合わせてコースのテーマや食材、メニューを見直すそうだが、一品一品には作品の如くそれぞれタイトルが付けられていて、そこに秘められたコンセプトが料理の隠し味にもなっていそうだ。

    特にコースの2番目に出される野菜のパフェは絶品だった。デザートでなく料理として提供される逸品。今回は玉ねぎのパフェだったが、色とりどりのカット野菜がアクセントにもなり、飽きがこないし、斬新で、一口ごとに何度も目を見開いた。

    更にはメインで出てくるお肉。野菜中心のメニューの中で最後に登場するお肉の存在は際立っていて、命の重み、日頃忘れかけている食への感謝の念を思い起こさせ、僕らはいつも以上にしっかりと最後までその有り難みを味わった。

    もう一つ、このお店はスタッフの方々も最高だった。事前に予約確認の電話を頂いていたが、その折に何気なく話した結婚記念の会話を、サプライズの品に変えて準備して下さっていた。そんな優しさや心遣いに満ちた接客も、この日過ごした時間に花を添えてくれた。

    食べて愉しみ、感じつつ、そして大切なパートナーとこの瞬間を噛み締めながら過ごせたこと。20周年の記念にはこの上ないチョイスであり、いつか振り返ったとき、忘れられない一コマになると感じた。

    そして、一度しか来ない20年目の節目にチョイスするのは、店名のとおり、ここ「Hitotsu」だけだったのかなと思った。

  • 誰かの優しさ

    今日は早く帰宅しなくてはならなかった。速やかにパソコンの電源を落とし、余計な仕事で捕まらないよう、いそいそと会社を後にする。いつも時間管理がギリギリな僕が、珍しく余裕を持って地下鉄に乗り込み、いいリズムで乗り換えながら東京駅に辿り着く。

    平日の夕方、家路を急ぐ通勤客や日本の各地に向かう観光客の人波を縫うように東海道線のホームに向かう途中、電光掲示板に映る列車遅延の表示が、せっかくのテンポに水を差した。

    どうやら事故の影響で電車が止まっているらしい。しかもまだ電車が止まったばかりのタイミングで、家のある湘南方面に向かう他のJRの路線も全て運転を見合わせていて、当面はこの混沌が続きそうだった。

    JR線と至近で並走する京急線などの私鉄は相当な混雑が予想されることから、少し遠回りにはなるが、僕は地下鉄で中目黒に向かい、東横線で横浜まで向かう。

    東京駅からからの地下鉄の車内はさほどの混雑もなく、狙い通りと思ったのも束の間、東横線に乗り換える中目黒駅のホームは多くの人で溢れていて、満杯でやって来る電車を何本かやり過ごさなくていけない状況だった。

    数本待った後にやってきた各駅停車は比較的空いており、車内中程まで進み、幸いにも体勢を保てるだけのスペースを確保することが出来た。吊り革にしがみつく僕の隣にはフランス人と思しき小柄な初老の女性が立っていたが、他の乗客同様に何処となく怪訝そうな表情で、少しばかり苛立っている様にも見えた。

    疲れや不機嫌さが入り混じる車内、ゆっくりと走り出す車体。こんな状況でも平常心を保てれば、悟りを開けるかも知れない。そんな事を考えている間に電車は次の駅で停車し、思ったより多くの人達が降りていった。そして目の前の席が空き腰掛けようとした矢先、先程のフランス人らしきマダムと目が合ってしまった。

    こんな環境での席の確保はまさに千載一遇のチャンスだったが、座わりたいという気持ちを押しのけるように、なぜか譲るべきという気持ちが僕の中にやってきて、気がつくと笑顔でそのマダムに席を譲っていた。彼女は意外と言う表情を示しつつ、軽く頭を下げ、やや遠慮がちに席に座った。

    それから各駅に電車は止まり、人は降りるものの、なかなか席は空かず、暫し僕は吊り革と一体化して電車に揺られる。それでも中目黒と横浜のちょうど中間位までやって来て、このまま直立不動で横浜まで行く覚悟をしたタイミングでやっと席が空き、先程のマダムの隣に腰を降ろした。

    訪れた平安を味わいながら、僕はイヤホンをして気になっていた動画を見つつ、暫し自分の世界に浸る。電車は急ぐことなく、厳かな儀式の様に一駅一駅、律儀に丁寧に横浜を目指し、気がつけば一つ前の反町の駅までやって来た。すっかり忘れていたが、JR線はどんな状況だろうか?

    車内では間も無く横浜駅に到着するアナウンスが流れ、電車はホームに滑り込み、ブレーキと共に減速してゆく。そして帰宅に向けた次なる道のりに向け、立ち上がろうした僕の手を、ふと誰かが引き留めた。

    びっくりして眼を向けると、先程のマダムが唐突だけれど丁寧に、しかも日本語で御礼を伝えてきた。

    「アリガトウ、ゴザイマシタ」

    御礼、日本語、それだけで少し意表をつかれたが、更には「ワタシはトナリエキです」と言う、返しの難しい二言目に、僕は笑顔で手を振ってその場を去る事しか出来なかった。

    何だか心がざわついていた。そんな言葉を掛けてくれたことが嬉しかっただけに、「お気をつけて」位の気の利いたことが言えればよかった。自分のリアクションの薄っぺらさを痛感し、妄想の中で、何度も彼女に「お気をつけて」の言葉を投げ掛けた。

    思い返せば、僕が吊り革を掴んで瞑想ならぬ迷走の思索をしていた時も、更には席に座り自分の世界に浸り込んでいた間も、彼女は席を譲って貰った感謝をどう伝えようかとずっと考えていたのだろうか…

    横浜駅では、直ぐにJR線が運転を再開し、結局は思った程のロスもなく家路に着くことが出来た。あの横浜駅の車内での思いがけない会話から何だか流れが変わったと感じた。

    彼女が用意してくれていたかも知れない、その優しさ。見知らぬ誰かの想いは、その後も暫し消えることなく、僕の中を巡り続けていた。